コンシェルジュリー(Conciergerie)は、フランスのパリ1区、シテ島西側にあるかつての牢獄。もともとフィリップ4世の宮殿であったが、14世紀後半に牢獄として使われ始める。18世紀のフランス革命の際には、多くの王族、貴族などの旧体制派が収容され、当時はその牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」とよばれた。しかし1914年に廃止、現在は観光名所となっている。
元は14世紀後半にシャルル5世がサン・ポール館へ移動する時に王室司令部を置き、その際に特権を得た門衛(コンシェルジュ)のことを指していたが、いつしか活動拠点としていた建物自体がコンシェルジュリーと呼ばれるようになった。フランス革命の後は国民公会により革命法廷が置かれ、1793年から2年間の間、2700名を死刑判決にしたという。その多くは一般市民・貴族・学者などだった。設備は悪かったらしいが、監視は比較的手薄だったという。[1]19世紀になっても使用されていたが、1914年に廃止、歴史資産に指定され、現在はパリのセーヌ河岸として世界遺産の登録対象になっている。なお、未公開の箇所は裁判所と警視庁の一部として現在も使用されている。